「そうせざるをえなかった」で見えてくるもの

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ぼくは物心ついたときから、組織宗教2世信者でした。いまは、無事脱出して平穏な生活を送っています。籍はありますが、超幽霊部員になっています。

こども時代を振り返ると、特殊な環境で育ったなと思います。クラブ活動、娯楽、特定の祝日を祝わない、友達づきあいなど、制限つきのことが多かったです。

ぼくは自分の過去のことをよく考えます。「小学生のあのとき自分は楽しかったんだろうか?あのときどんな気持ちで家族と過ごしていたんだろうか?」と懐かしくなり、またほっこりした気持ちになります。

過去のことで悲観的にならずにすむのは、「そうせざるをえなかった精神」のおかげです。

自分でそう呼んでいるだけですがね。ポジティブにいく上で、この精神はなかなかいいですよ。

「そうせざるをえなかった」精神とは?

そうせざるをえなかった精神とは?

自分の苦い過去を振り返ったとき、「自分を苦しめたと思われる相手にも、そうせざるをえなかった理由があったんじゃないか?」と深く洞察し、まっいっか、と悪感情を弱めること(ロコペディアより)

説明になっているんだか、なっていないんだか・・・。要するに、自分の身にふりかかったことで、それが故意にでなく、「そうせざるを得なかった」故に起こってしまったのかな?と考えるということです。(よけいわかりづらいかー。)

「そうしたい」と「そうせざるを得ない」のはざ間で

40年前、親がどんな心境で組織宗教に入ったのか、はっきりしたことはわかりません。

聞いた事はありますが、明確な答えが返ってきませんでした。「これが人間を救う何かの手段なのかもしれないと」強い感情に動かされたのかもしれません。

ぼくはうちの親が、その道で教育したことを責めるつもりはまったくありません。

「そうしようと」という感情と、「そうせざるをえなかった」何かがあったんだと思います。

「これはすばらしい教えだ。ぜひこどもたちにもこの教育を」と素直に思ったのでしょう。

いい子に育ってほしいと純粋に願ってその道を教えようとしたのでしょう。

母と過去のことを話していくにつれ、周囲の影響も相まってそうせざるを得なかったんじゃないだろうかと、だんだんと思うようになりました。

一度特定の輪の中に入ると、それが特に組織宗教であれば、皆が一定の方向にむかわなければいけないという、見えない暗黙の影響力があるのです。

ぼくも同じ立場であれば、もしかしたらそうしたかもしれないと考えると、親の選択にあれこれ言う気持ちが薄れてくるのです。

Rokota style

自分の生い立ちで悩む人は若者はたくさんいると思います。

わたしも、日々自分のバックグラウンドを悩み、また懐かしんでします。

あの出来事、あの人の行動、そのときは考えもしなかった、「そうせざるを得なかった理由」が何かあるかもしれません。少しだけそれに思いを寄せて考えてみてください。

そうせざるを得なかった精神で少しでも気が楽になりますように。