宗教体験を振り返っての思い

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物心ついたときから30数年間、組織宗教2世信者として活動していました。

プロフィール
ご覧いただきまして、ありがとうございます。 嶋田コータローと申します。 Twitter: note: 兵庫県在住の3...

宗教をやって得たもの

宗教をやって得たものありますか?の質問に答えてみる
物心ついたときから30数年間、組織宗教にいた者としてお答えします。 この質問は、宗教現役のころのほうがよく聞かれました...

宗教をやって失ったもの

宗教をやって失ったものありますか?の質問に答えてみる
物心ついたときから30数年間、組織宗教2世信者として活動していました。 昨日は、宗教をやって得たものについて書...

得たものと失ったものを振り返り、考えたことをまとめておこうと思います。

あくまでもぼくが所属した宗教内での体験に基づく感想です。しかし宗派問わず、根幹においては相通じる部分があると思います。

どうしても排他的になってしまう・・・

組織宗教では道徳心を向上させるような教えがあり、それは自分の心の持ちよう、人への接し方において大変有益なものでした。愛や親切心などの教えは頻繁にうけました。

ただ、どうしても自分達の組織内に限られてしまいます。

「世の中は悪魔の配下にある、世の中の人たちは私達の神を崇拝していない」この教えがありますので、愛を説いてもどうしても排他的になる。

私が所属していた組織宗教特に日本の信者達は、災害時にボランティアとして人を派遣しますが、まずは身内つまり同コミュニティを助けることが最優先です。行政や他のボランティア団体と協力して何かを行うことはまずありません。

自分達の組織=神の側 世の中の人たち=悪魔の側

このように二極化されていますので、世間への対応の面で排他的になります。

「世界一愛のある組織」と教えられていましたが、「世界一排他的・閉鎖的な組織」だったのかなと感じています。

ぼく自身、宗教活動全盛期のころはこのような思考でした。今振り返ると、同じ命ある人々へ配慮の欠ける言動をしていました。

この経験を教訓として、愛や親切心という輪を特定の対象に限定するのではなく、すべての人に及ぶように広げていきたいと思います。

ちょっと立ち止まって考えてみませんか

・自分が信じていること?それとも宗教組織が信じていること?

大きな宗教組織にいると必ず直面する問題があります。

それは、

自分の思いと組織の教えがぶつかるときがくることです。

「組織は神について○○と教えるけど、自分としては○○だ。」と思うときが必ずきます。

これがささいなことではなく、自分の人生を左右するような教えさえあります。

納得していなくても組織に従順に従う選択もできます。でもそうすると信仰の自由が発揮されません。組織が当人の信仰を決めているのであり、当人の自発的な心情によって選択されたことではないからです。

ぼくも脱組織前の晩年は、これで相当悩みました。

「明らかに組織が教えることで間違っていることがある。自分は○○だと思う。さあどうする。黙って従うか。でもそうすると自分が何のために神を信じているかわからなくなる。」

自分の良心と組織の教えがぶつかるとき、どうか自分の正直な気持ちを押し殺さないで下さい。信仰はただ本人のみが自発心によって決めることができるものです。

・それ誰が言ってるの?組織幹部?それとも神?

脱組織をして「ぼくは宗教組織がつくり上げた神を信じていたんだろうか?」と思うことがあります。

組織はよく「神のお考えは△△です。神は□□と思っておられます。○○すれば神に喜んでいただけますよ」と言います。また組織の教理が変更されるときには「教えの変更は神のお考えなのですよ。」と変更が神から出たものとします。

結局、「組織の幹部の教え=神の教え」であり、組織の都合にあわせて神を使っているにすぎません。

ぼくは自身脱組織前の晩年、組織が教える神の命令に対して非常に違和感を感じ、そのことでいろんな人と論議バトルを繰り返しました。組織が教えることが神からのものだという根拠について。得た回答を一言で要約すると「ここは神の組織だから組織の言うことに従おうね」です。

ふっ、ふっ、ふざけるな~!!

これからは宗教組織がつくりあげた神ではなく、自分が信じるものを信じていきたいと思います。

今日のStyle

宗教経験はトラウマになりやすい分野ですので、どうしても負の部分だけに目が向きがちですよね。

30数年間を通して、良い教えにもたくさん触れてきました。ネガティブなことだけにフォーカスすることなく、良い部分を生かしていきます。

これも人生のいい経験だと思い、ポジティブ思考でいきたいと思います。