真田幸村が熱い!時間をどう過ごすかを極めた男

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きょうは戦国武将、真田幸村から学ぶ教訓をば1つ。

それは、時を無駄にしない!境遇に支配されない!ことです。

真田幸村とは、1567~1615年に生きた武将で、生涯の最後に徳川家康の命を奪いかけた男です。

世間一般の真田幸村へのイメージは、「強い、かっこいい、勇敢、度胸ある、家康をびびらせた」などこんな感じです。

が、ぼくはそんなイメージはあまりありません。それよりも、真田幸村は時間を有効活用した屈指の男ではないか?時をかなり意識していたのではないか?と思うのです。

そのことについて書きます。

空白の14年間

真田幸村には空白の14年間とも言われる、生涯で知られていない期間があります。何をしていたのか、ほとんど資料が残っていない期間。

どの期間かというと、

現在の和歌山県にある九度山で生活していた、1600年(34歳)~1614年(48歳)までの14年間です。

自分から望んだわけではなく、いわば流刑のような状態で14年間、家族や家来とひっそりと暮らしたのです。

そんな幸村に転機が訪れます。なっなんと、1614年の徳川VS豊臣の戦争に「豊臣軍のメンバーとして参加してもらえないだろうか?」とお誘いがかかったのです!

「現場復帰ができる最後のチャンスばい!この機会逃したら、もうワシの人生終わりや!」と言ったかどうかはわかりませんが、幸村は豊臣軍のメンバーに加わります。

結果的に戦死したんですが、家康を死の一歩手前まで追い詰めた男として有名になるのです。

以後、伝説として数々の逸話が語られるように英雄となっていき、その現象が現代まで続いています。

「真田幸村最高~!かっこいい!家康を追い詰めてすごい~!」

でもでも、ぼくはそんなことより、ずっと気になることがあるんですけど・・・

ひっそり暮らしていた14年間、何をしていたの?

14年間何もしていなかった人が、急に戦場復帰して活躍できるの?

日々を大切に過ごしたはず

イチロー選手でも、1年間まったく練習しなければ、体カチカチになってプレーできないはず。練習してこなかったのに急に「じゃ、明日3番打ってもらうからヒット頼むね♪」と言われても、なかなか厳しいでしょ。

真田幸村も、14年間たいしたこともせず、毎日お酒飲んで暴君状態だったら、たぶん即戦死してたはずです。

14年ですよ、14年。長い~。何か毎日コツコツやってたはず!

ここからはぼくの勝手な推測ですが、

幸村は時間を大切にして境遇に支配されなかったと思うのです。いつの日か、また現場に復帰できる日を夢見て、常日頃から鍛錬を怠らなかったのでしょう。

だからこそ、徳川VS豊臣の戦いで大活躍できた。仲間から絶大なる信頼を得、周りが驚くほどの機敏な動きをすることができたのです。

恐らく文武ともに鍛錬していたのではないかと、ぼくは思います。

文とは~物事の本質についてよく考えていた。家臣を常に思い人徳を培っていた。

武とは~兵をどう導くか。どう動けば兵を失わずにすむか。ただ筋肉を鍛えていたのではなく、いつも戦略を意識していた。

幸村のお兄さんは、幸村のことをこんなふうに評価してます。

「柔和で忍耐強く、物静かで、言葉少なく、怒り腹立つことがなかった」

「信繁(幸村)は国を支配する本当の侍で、自分達は見かけを取りつくろい、肩をいからせている道具持ちという程の差がある」

セレクト日本史より

境遇につぶやかず淡々とこなしていく

幸村が14年間どう過ごしたか、本当のところは誰にわかりません。

でも、ぼくはよくこの幸村の14年間を考えるんです。どんな日々を過ごしてたんだろうなって。当然答えはでません。でもいいんです。それを考えるだけで力が出てきます。

なぜでしょうかね。たぶん、いま自分がやっていることの結果が出るまで、この道程をどう歩んでいくか考えているからだと思います。

幸村も自分の境遇を呪うこともできたでしょうし、「自分もうアカンわ」と投げやりになることもできたはずです。でも、そうしなかった。淡々と日々を過ごし将来に備えた。

ぼくも、「もう37歳やのに、いまだにこんな状態や。全然進んでへん」って思わずに、誰に見られずとも、ひっそりとであろうと淡々とやっていこうと思います。

今日のStyle

真田幸村が英雄だとか、正直それはぼくにとってどうでもいい。

幸村の14年間にひたすら思いをはせて糧にしようと思います。

Webライティング、ブログ、NPOの仕事、写真撮影の技術、これらのことを淡々とやっていきます。一日一日の先に3年後、5年後があることを意識しながら。

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