知識の量と人間性は比例するのか

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知識の量と人間性は比例するのか

生活支援員としてまた兼業ライターとして活動するなか、時々こんなことを考えます。

結論から言うと、膨大な知識の量があっても必ずしも人間性は向上しないんじゃないかと思います。

江戸時代と現在を比べると、「知識」の面だけをとっても圧倒的にその量はふえています。でも全体的には人間の内面はそれほど変わっていない。

貪欲をコントロールする人間性や言葉を制する力、自分の感情をどう表現するかといったことは、昔の人も今を生きるぼくたちも共通の課題を持っているのではないでしょうか。

生活支援員として

福祉の仕事に携わる人が入所者を暴行する、こういったニュースを時々聞きます。本当にあってはならないこと。支援する者とされる者という見えない概念があるので、こういったことは起こるのでしょう。こういった事件を単に、ひどい!だけで終わらせたくありません。

そこで問われるのは、やはり人間性でしょう。どんな人か?支援する者が「どんな人間か?」に全て行きつくと思うのです。

生活支援員として働き始めて、「知識」の重要性も感じます。通所者の病気の具体的な症状やどう対処したらいいかを知ること、福祉事業所と役所との関係や補助金を得るための交渉術、いろいろあります。確かにこういった知識は、今という時代に人をサポートする上では必要です。

でもこういった知識は人間性を高めるわけではありません。肝心な「その人がどんな人か?」に結びつかない。入所者に暴言暴行を加える人でも、知識の量はかなりあるでしょう。福祉の仕事に長年関わっていれば資格が必要になり、そのために勉強したはずです。いわば福祉のエキスパートです。それでもこんな事件が起きることがある。

本当によいサービスを提供しようと思うのであれば、既存の概念に縛られるのをやめて、自分はどんな人間なんだろうか?をもっと考え自分と向きあうことが大切です。これを日々自分に問うてシンプルにサポートしていきたいと思います。

そして人間性につながるような知識の習得を目指したい。

ライターとして

記事を書くために情報を収集しても、それが人間性を形作るわけじゃないんだなと感じています。書くための知識というんでしょうか。まぁライターは求められるものを書くことが前提なのでそれでもいいんでしょうけどね。

ただそうではあっても、モノを書く上でいろんな知識を取り入れると思うんです。書く記事の専門知識のみならず、自己啓発書だってかなり読むでしょう。知識量と思考力をもとに良質の記事を書けるようになる。でもその記事からその人の人間性が何となく垣間見えて、あれ?と思ってしまう。

書くための知識にとどまらず、せっかくなので自分の人間性に影響が及ぶようでありたいです。

難しいことなんでしょうね。賢人といわれる人たちが書物を世に送り出し、それを大勢の人が自分の中に入れてきた。例えば聖書は世界のベストセラーといわれて、本当に多くの人がその「知識」を得てきました。人間関係や道徳を説く側面もありいい本なんだけど、その知識は人間性を高めてこなかった。そうであれば、もうとっくに世の中平和になってる。

自分がどんな人間か?知識以上の何が必要なんだろうか。

今日のStyle

日々たくさんの情報や知識に接していて考えることです。

知識を知恵にかえて少しでも自分の内面が豊かになればと思います。

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