【おみやげエッセイ】
こんにちは!嶋田コータロー(@SRokota)です。
お土産品じたいの紹介だけじゃなく、たまにはおみやげエッセイのようなものを書いてもいいのかなと思っています。おみやげやお菓子にまつわる話のような。
お土産に限らずお菓子は、さいしょに食べたときの記憶、とくに子どものころの記憶があとあとにまで残るような気がします。
わたしのなかでは伊勢名物・赤福餅、熊本の朝鮮飴と陣太鼓、そして写真の丸ぼろうは、いまでも子ども時分に食べたときのことを覚えていますね。味云々をとおりこして思い入れのつよいお菓子として、自分のなかで存在しているんです。
最近、しごとで丸ぼうろの試食をしました。
「丸ぼうろ」というのは、主に小麦粉・砂糖・卵・蜂蜜でつくる焼き菓子。佐賀県の名物菓子でとっても素朴。パサパサして苦手な人もいるけど、わたしは大好きです。
このお菓子を見るだけで、いっきに子ども時代に記憶が戻ります。
わたしにとって丸ぼうろは、佐賀名物でもお土産品でもなんでもなく、じーちゃん・ばーちゃんちにあるおやつです。
じいちゃんちの居間のテーブルには、いつもフタつきの器がおいてありました。わたしはそれを宝のはいってない宝箱と思っていたんですね。
なぜかというと、ちょっとこぎれいで品のある器なんですが、フタをあけると丸ぼうろと一口香(いっこっこう)しか入ってないのです。一口香とは小麦粉や水飴でつくる平たい焼き菓子。どちらも小学生のわたしにはまったく魅力的にかんじないお菓子でした。
それはじいちゃんの好物でいつもその器にはいっていました。でも、じーちゃんは美味しそうに食べるわけでもなく、淡々と口の中に入れていたのです。「ホントにこれおいしいのかな・・・」と何度おもったことか。
いつじーちゃんちに行ってもそれがあるのです。そりゃ子どもの印象につよくのこりますよね。
あれから30年ぐらいが経ち、わたしも中年になり、ようやく丸ぼうろのおいしさをわかりはじめてきました。そして、丸ぼうろになんか思い入れがあるなと気づきはじめてもいます。
それはやっぱりあのころの思い出があるからでしょうね。
丸ぼうろを手にすると、ホントにじーちゃんの顔が浮かんできます。じーちゃんが居間でナゾの座椅子に座り、テレビを見ながら丸ぼうろをほおばる光景が、パッと映像として出てきます。そして同時にじーちゃんという人のことも思い出される。
とてもとても素朴で穏やかで、まるで丸ぼうろのような人だったなぁ。外見も素朴、中を切っても素朴、目立たない佇まい。母からきいたぶんでは、怒ったことが一度しかないという。
そういうじーちゃんのことを、いまになって、丸ぼうろを食べるときになって思い出し、「もっとじーちゃんと話しておけばよかったなぁ」と思うようになっています。
どのメーカーとか関係なく、わたしにとっては「丸ぼうろ=じーちゃん」なのです。
丸ぼうろひとつでこんなに昔の色んなことを思い出すなんて、そのたびにいつも自分に驚きます。丸ぼうろやっぱりええなぁ。
こどものころのお菓子との出会い、さぐればまだまだ出てきそうです。
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