こんにちは!嶋田コータロー(@SRokota)です。
タイトルの言葉は、プロジェリアという難病をかかえた少年が語ったもの。
細胞の老化が通常よりも速く進む早老症といわれる病気で、平均寿命が13歳。
きょうのテレビ番組で特集されていました。
その番組のなかで、プロジェリアの男の子が「病気の自分はなんて可哀想だと、悲しいパーティを続けることもできる。でもぼくは自分の人生を最大限に生きたい」と、こんな内容のことをいっていました。
わたしはこの番組を見ながら、言葉ではうまく表現できない色々なことを考えていました。
約3年前にある種自由になって、それからというもの、若いころ以上に生きること死ぬことくすしい造りの人間のことなど、考えても答えが出ないことをよく考えるんです。
毎晩のように、眠る寸前なんかはそんなことが頭をよぎりますね。
やっぱり・・・といったらアレだけど、人間はどんなにつらいと思える境遇にあっても、過去にどんな生い立ちがあって悲しい出来事があっても、いまとこれからの自分の命を精一杯生きていくしかないのだと思う。
「生きていくしか」というと、なんだか投げやりのようにも聞こえるけども。
つらい境遇や生い立ちはどうすることもできないけど、いまとこれからはどうにでもできる。自分の強い意志があれば。
番組を見た限りでは、プロジェリアの少年と少女は、ずっと前を向いて生きていたように見えました。
可哀想とかそういうレベルの感情ではない、なんやろう、自分でもよくわからない感情、人間の生を深く考えさせられるものでした。
自分のなかで全然まとまっていないので、こんな感じにしかいまは書けません。
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