皆と同じことをすれば、周囲にうまく溶け込んでいる感があり安心感が出てきます。
一方で人と違うことをすれば自分で自分を形づくるので、足元が強固になり安定感が増します。
ぼくは安心感よりも安定感がほしいです。
きょうこんなふうに考えるのは、「人と違うことをしなさい」という父の言葉を思い出したからです。
人と違うことをしなさいの真意とは?
小学校高学年になったぼくが父からよく言われていた言葉です。テストの結果を父に見せたときに言われることが多かったように記憶しています。
小学生のぼくには難解な言葉で、人がしないことって何だろう?人と違うことをして楽しいんだろうか?先生に怒られるんじゃないか?そんなことを考えていました。
中学高校生になり次第に言われることもなくなりました。高校受験に不合格し成人してからは組織宗教の道へ進んだぼくのことを、こいつはもうあかんな、アドバイスしても無駄やなと諦めたのでしょうか。父の本意は定かではありませんが、「人と違うことをしなさい」とその口から出てくる回数は徐々に減っていきました。
当時父が何を言わんとしていたのか、ようやく分かってきたような気がします。父に直接聞いたわけではないので、気がするだけなんですけどね。
自分の考えをしっかりと持て!周りに流されるな!自分流を貫き通せ!
たぶんこういうことを言いたかったのかなと思います。自分なりに「人と違うことをする」を咀嚼した結果たどりついた一つの考えがあります。
それは人と同じことをすれば安心感が得られ、人と違うことをすれば安定感が得られるということです。
ファッションに見る安心感と安定感
モンゴルにいたときに、この父の言葉がふと頭に浮かぶことがありました。若者のたちのファッションセンスと「人と違うことをやれ」の言葉が結びついたんですね。
モンゴルには日本のように毎週刊行されるファッション誌があまりありません。また今年流行の○○といったモノもなく、洋服は中国からの輸入がメインでモンゴル国内での製造もそれほど多くありません。
自分で自分の流行をつくり自分のスタイルを決める。だから人と違ってくる。
モンゴルの首都ウランバートルでぼくが見た光景が異質に映ったのは、若者のファッションが皆自分を主張していたからでしょう。人と違っても誰も気にしない、むしろ楽しんでいる。安定感抜群の個の確立だなと感じました。
一方で流行の○○、しかも今年という限定的な言葉が使われる日本のファッション。
流行のモノを身につければ皆と同じだという安心感が生まれるのだと思います。「あなたも今年の○○だね、私もだよ」と言葉には出さなくても、街行く人々と意思を通わせているかのようです。「誰か」がまとっているモノを自分も持てば安心する。
人と同じことをすることは安心感につながるのでしょうね。
生活支援員として兼業ライターとして
どちらも行うにも「人と違うことをする」意識を持ちたいです。
何も奇抜なことをするわけでも、人がやっている真逆の道へ進むわけでもありません。
ぼくにとって人と違うことをすることは、「自分で何かしらのアイデアを出し進み、その目の前に現れることを淡々とこなすこと」です。
よくわからないまま周囲に同調して安心感で生きるより、自分のスタイルを見つけ自分を安定させたいです。
今日のStyle
安心感よりも安定感を選ぶと、生き方を揶揄してくる人が必ず現れます。
それに負けずにやっぱり自分で決めたことをやるのがいいです。
「人と違うことをしなさい」という父の言葉がぼくの背中をおしています。
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