その時とは自分の死であり、また親の死。
その時が来る前に親に聞いておきたいことが山ほどあります。
聞いておかなければきっと後悔するだろうし、永遠に親との距離が縮まらない気がしているのです。何を縁起でもないと思われるかもしれませんが、このところこういうことを考える機会がよくあります。
どうしても悔やまれる
最近NHKの朝のニュース内で「夏点描」という短いシリーズをやっています。毎日一般人1人,2人の今夏の想い出を撮っているものです。その中に登場した福島県の中学2年生女の子が語った言葉が印象に残りました。
リオオリンピックの閉会式で映し出される、ありがとうの一文字を学校生徒で作成する企画があり、それに備えてその子にインタビューしたときの言葉です。ありがとうを誰に伝えたいかっていう話だったと思います。
東日本大震災後にガンで亡くなったお母さんに伝えたいと。
「結局まともに顔を合わせて、『ありがとう』と言う機会もなくて、本当に突然だったんですよ。どうしても悔やまれる」
家族であれ友人であれ、残された人は必ず何かを悔やむのかなと感じます。精一杯の気持ちでお互いを思いやっていたとしても、やっぱり悔やむ。
悔やむからこそ、せめてこれだけはということはしておきたい。それは感謝かもしれないし、親孝行かもしれない。
ぼくにとっては「親の思いを聞くこと」これだけはやっておきたい。もちろんそれだけではなく、温泉旅行に連れて行って肩でも揉んでやりたい。べただけどね。
こどもがいなくて親の気持ちがピンときていないので、余計に聞きたいのかもしれない。
親に聞いておきたいこと
親の考えや気持ちをぼくは以外に知らない。25歳で家を出ているから余計にそうなのだと思っています。家を出て独り暮らしなどをして始めて親のありがたさに気づき、少しは角がとれて親とも話せるになった。
でもそのときには年に1度帰省するぐらいだから、大した話はできてません。やっぱり親の心子知らず状態になっている。
だからどちらかが先に逝くまえに、たくさん聞いておきたい。考えたくはないけど、いつかはそういう日がくるのだから。
聞いておきたいことは山ほどある。
- こどもたちが生まれた時、それぞれその瞬間どう思ったか?
- 子育てするとき何を一番大切にしたのか?
- こども達との想い出として何が真っ先に浮かぶか?
- 大事に育てた子ども達が反抗期に突入してどう感じたか?
- どんな青春時代を送ったのか?
- 働き方や生き方について、何か自論はあるのか?
- これだけは譲れないというものはあるか?
- これだけは人に伝えたいという思いは何かあるか?
- 年を重ね確実に死期が近づく中、何か思うことはあるか?
- ぼくの左利きをどう思うか?
- ソフトボールでピッチャーをしていたときのぼくの投げ方どうだった?
(最後の2つどーでもええわ)
今日のStyle
大事なことからどーでもいいこともまで、聞きたいことは尽きません。
書いてるうちに、どーでもいいことをたくさん聞いてみたくなってきた。
何でも聞いて、「へー、そんなこと思って育ててたんやー」って、親との距離を縮めたい。
なにより聞くことが親への感謝でもあると思うのです。
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