経験したことはムダではないかもと思った話

こんにちは、嶋田コータローです。

 

きのう書いた記事とも関係のある話を書こうかと。

コンプレックスっぽいこと
こんにちは、嶋田コータローです。 きょう、とあるウェブサイトを読んでいたときに、ふと「あ、自分は就職コンプレックスをもっているかもな」と思いました。 コンプレックスの意味はいろいろとあるようですが、わたしがいうの...

 

6月1日から和菓子好きが集まるanko houseというコミュニティを共同で運営しています。

 

これまで仕事にしろ趣味にしろ、コミュニティを立ち上げたことがないので、どういうふうに運営していったらいいかいなと考えております。

 

そんななか、佐渡島庸平さんの「WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜 (NewsPicks Book)」というコミュニティについて書かれた本が参考になり読み進めているところです。

 

本の中では、コミュニティの成功事例としてキリスト教が出てきます。

 

これまたすごいところから引っ張ってくるなぁと思いましたが、たしかにキリスト教を「コミュニティ」とだけ考えると、そうかもしれません。(宗教と考えるとまったく別の話になってくるから「失敗」と言ってもいい)

 

そうかもしれないと言えるのは、かつて私自身その手の宗教組織にいたからです。

 

キリスト教という「コミュニティ」の運営が円滑に進むために内部は何をしているのか、お金の流れはどうなっているのか、こういったことをそれなりに知っています。(自分が所属した組織のことについてだけど)

 

キリスト教は宗教ですから、ほかのコミュニティとの違いがあるといえば、もちろんあります。

 

そもそも、キリスト教はイエス・キリストの死後、後代の人たちが勝手に(と言ったら語弊があるけど)コミュニティ化したものです。キリスト本人が生きていた時代にはキリスト教という「コミュニティ」なんてなかったのですよ。

 

と、そんなキリスト教の話はまた別の機会にするとして(するんかいっ)、きょうのブログで言いたいことに戻ります。

 

佐渡島さんの本を読んで、宗教組織でコミュニティというものを経験したことは、案外ムダではないのかもしれない、と思いました。

 

もしかしたら自分にとっては当たり前になっていることが、コミュニティ運営に役立つかもしれない。

 

感覚として身についていることが何かあるかもしれない、そう感じます。

 

子供も含めて老若男女、いろいろな年齢層が集うコミュニティ。人の話を聞き鼓舞し、一人一人が参加している意識を持たせ役割を与え、盛り上げていくということをしていたなぁと、昔を振り返っています。

 

経験したことはムダではないかもなぁ。

 

経験したことがなにかしら役に立つ日がくるかもしれない。(こないかもしれないけど)

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