こんにちは!
おみやげライター嶋田コータロー(@SRokota)です。
このブログと毎日ノートにつけている日記に、食べた物を書き残しています。
「自分が何を食べたか書くのもいいのではないか」と最近よく思います。そう思ったちょっとした理由をば。
名越左源太の日記
深い理由があるわけじゃないんですけどね。
ある1冊の本を読みまして、それで心が動いたというか、「あぁ、食事日記もいいんやな」と思ったんですね。
その本というのがこちら。
▼「名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子」
幕末時代に薩摩藩で生きた武士「名越左源太(なごやさげんた)」さんの日記に基づいた本です。
薩摩・島津のお家騒動に関連して、5年間奄美へ島流しになった左源太さん。奄美で生活していた間、日記をつけておられたんですね。
毎日の食事内容、いただいた菓子、来客人物など毎日の日記。まぁ、こう言ってはなんですけど、ごく平凡な日記です。
食べた物が中心の日記を、毎日淡々とつけてるんです。この日記は「遠島録」という題で、貴重な資料として残されています。
で、この日記をもとに奄美の食生活について書かれたのが、写真の本なんです。当時の奄美の食と菓子について迫る内容になっています。
この本ではたびたび左源太さんの日記が引用されています。
ちょっとご紹介。(日記は現代語訳)
夕方亭主が米と椎を交ぜた蒸菓子をくれた。毎日菓子をくれること、とても叮嚀である。わたしのために毎日菓子類を作ってくれるのか、または、かねてからそういう習慣のある村里であるのかは、はっきりとは分からない。
藤進が煎粉餅を重に二重くれた。煎粉餅の形は以下の通りである(二種類のスケッチあり)
今日、椎の蒸菓子を貰った。美味しかった。
いかがですか。まぁっ~、ふつうの日記ですよね。(なにがふつうか知らないけど)
そうなんですけど、これが残っていたからこそ当時の食生活をある程度知ることができたんです。当時の奄美にどういう産物があったのか、どういう調理がなされていたのか、こういったことが研究とともに明らかになった。
もし左源太さんの日記がなかったら、当時の奄美の食文化はいまだナゾのままだったかもしれません。
左源太さんも、まさか自分の日記が後の時代に用いられるとは思ってもいなかったでしょうね~。
どこで何をたべたか記録しておく
左源太さんの日記を知って思ったんです。「食べた物を記録しておくのもいいかな」って。
「将来のために何か書き残そう!」とか、そんな壮大なことは考えてませんけど、記録しておくのは大切だなと。
ほとんど毎日と言っていいほど、各地のお土産を食べています。何を食べたかのごく平凡な日記でもいい。淡々と書き残していけば、いつか何かになるかもしれません。
地方の知られていないお土産のことを、たとえ稚拙な文であっても確実に書き残すなら何かを伝えられます。でも何も記録がなければ知りようがないです。
消えゆく銘菓やお土産のことを記録しておかねば。
いまひとつまとまりませんでしたけど、2017年7月14日時点ではそんなふうに思っています。
▼食と歴史好きの人にはオススメ。当時の菓子についての記録も興味深いですよ。
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