穴を掘らなければブラジルには行けない

地面の穴

「ここ掘ればブラジルに行けるとかな?」

 

そう言ってみんなで地面を掘っていたのは、今から30年以上前のことです。

 

1980年代当時、サッカー漫画・キャプテン翼が大流行していて、主人公の翼くんはブラジルでプレイすることを夢見ていました。

 

毎週放送される翼君のアニメを見終わると、必ず庭で兄弟や近所の友人とサッカー。

 

「ぼくもブラジルに行きたい!」と、現実の世界にいるわたしは影響を受けていました。ちょうど家にあった地球儀を見ると、どうやら日本の反対側はブラジルのようです。

 

もしかしたら行けるかもしれない!

 

我が家が住んでいた賃貸一戸建ての家の庭には、丁度よい感じの穴を掘れる場所があり、私たちは穴を掘り始めました。

 

「ブラジルが出てきたらどうする?」とワクワク感いっぱいに。

 

が、どれだけ掘っても変わらない土の色。

 

「無理かも・・・・・・」

 

たぶん・・・・・・いや、絶対にブラジルには行けないであろうことに気づくのに、そう時間はかかりませんでした。

 

とどめは誰かがぽっそりつぶやいた「行けんっちゃなかと」。(標準語に訳しますと「行けないんじゃないの」)

 

それから徐々にブラジル化計画への興味を失い、掘った穴は放置され、草木が生え土地は荒れ果て、わたしのブラジル魂はすさみ消えていってしまいました。

 

いま思えば、どこの子どもにでもありがちな話ですよね。ほほえましい子ども時代のワンシーン。

 

子ども時代のほかの体験はそんなにはっきりと覚えていないのに、ブラジル穴堀り大作戦のことだけははっきり覚えていて、人生の岐路に立つたびに思いだすのです。

 

なぜなら、当時6,7歳だったわたしは、穴を掘ることの中に教訓めいたことを見つけていたからです。

 

「ここ掘ればブラジルに行けるばい!」と、半分は冗談で言いつつも「まず掘ってみなければ絶対ブラジルには行けないし、ここを掘り続ければブラジルじゃなくてもどこかにつながっているかもしれない」と。

 

まぁ、結局は数日間で穴を掘るのをやめたわけですが、掘っていたときの気持ちはいまでも残っています。

 

まったく自慢にもならいけども、わたしは興味対象がコロコロ変わり、何か一つのことだけに夢中になり続けるということができません。(妻には変わらず夢中、エヘッ)

 

何かにはまったかと思えば、それを達成する前に別の何かに興味を持ってしまう。飽きやすいそういう性質です。

 

いまもまたある一つことにはまっています。普段は毎晩10時、11時に寝るのですが、最近はそのあることを勉強したくて12時1時ぐらいまで起きています。そして朝は6時半ぐらいに起きるという、完全に寝不足気味だ。(気味じゃない、寝不足)

 

コロコロと興味対象が変わるのはどうなのかなと思いつつも、やはり今やりたいことは今しなければいけないような気がするし、そういう本能丸出しの生き方しかできないというのもあります。

 

そうやって、やりたいことに取り組もうとした時に、ふと昔ブラジルに行くために穴を掘った記憶が浮かびました。

 

何かに取り組まなければ何の成果も出ない。それを続けたからといって自分が望む結果にたどり着くわけではないかもしれない。

 

そうなんだけれども、やはり何かしらどこかには行けるような気もしています。

 

ブラジルに行くために、穴の掘り方はどうだとか、道具は何がいいとかそういうのももちろん大切なわけですが(もちろん、どんなにいい感じに掘ってもブラジルには行けないが)、それよりもまず穴を掘り始めることでしょう。

 

そして、どんなペースでもいいから穴を掘り続けることが大切だと思います。

 

ブラジルに行く穴を掘るというきっかけになったキャプテン翼とその作者、また一緒に穴を掘ってくれた兄弟たちや友人にありがとうと言いたい!

 

さらには、ぼっとん便所付きの古い家ではあったけども、穴が掘れる庭付きの家を借りてくれた父と母に感謝したい!

 

「まずは何かに取り組まなければ何の成果も生み出すことができない」という大切なことを、人生で初めて考えたその背景には、こんなに多くの人たちが関係しているのだなと思い、この場を借りてお礼をのべます。

 

子どもがとる行動にはおそろしいぐらい学ぶべき教訓が含まれていますね。

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