お土産をお土産たらしめることとは? おみやげと鉄道を読んで

こんにちは!

おみやげライター嶋田コータロー(@SRokota)です。

 

「おみやげと鉄道」という本を読んだ感想を書くシリーズ。

以前書いたおみやげは日本独特の文化?「おみやげと鉄道」を読んでの感想の続きになります。

 

この本を通して、地域の名物が近代産業(鉄道・軍隊・名産品の博覧会・飛行機など)の発達に伴い、どうお土産化していったのかを知れます。

 

今回取り上げるのは2つ。

 

1つはお土産の起源。もう1つは、お土産がお土産であるためには何が必要なのかについてです。

 

それではお土産の世界へどうぞ~。

日本人の特性があらわれてる?お土産の起源について思うこと

起源について書かれた一文がこちら。

みやげは元来神々の「おかげ」を分かち合うということがその起源であるということができよう。

おみやげと鉄道(鈴木勇一郎著より)

 

お土産の起源について考えたことありますか?わたしはOMIYA!で仕事をするまでは深く考えたことがありませんでした。

 

「えっ、お土産?。お土産って旅行に行って、その土地の名前がついたクッキーとか買うあれやろ?」。正直なところ、このぐらいの認識でした。

 

まあ、「土産」と漢字で書くぐらいなので、その土地で産まれた物ということは誰でも理解しているでしょう。でもその始まりとなると・・・ですよね。

 

この本を読んで起源を初めて知り、へ~っ!の連続でした。

 

本に書かれていますが、昔は神社に参るときに供え物を持参していました。そして、その供え物に対して授けられたのが神酒。いわば神様からの恩恵ですね。

 

で、その神様からいただいた恩恵を家族に報告するために使われたのが、酒盃なのです。

 

これを家族に見せて「お父さんは、神社にいって恵みを頂いたんだぞ!」と、そう言ったのかどうかはしりませんが、この「恩恵」を分かち合ったんですね。

 

いまでいう、神社でお参りをして家族にお守りを買って帰えるようなものでしょうか。

 

わたしはこの起源の話を聞いて、日本人の特性があらわれてるのかなぁと思いました。

 

それは神様からいただいた益を分かち合うという発想です。「恩恵」が「物」だったので、それを他人と分かち合ってもいいと思ったのでしょうか。

 

わたしはキリスト教事情を少し知っていますが、キリスト教には御利益を分け合うという発想はないと思います。

 

 

このへんだけを見ても、お土産の起源って日本人の宗教心とも関係してるのかなと思いますね。

 

神から賜ったものを他人と分かち合うという考えがそもそもなかったら、お土産というものも誕生してなかったのではないかと思うのです。

お土産をお土産たらしめること

名物とは、さまざまな定義ができるだろうが、本書で扱う内容にひきつければ、風土、歴史、材料などでその土地の特質を表す物産ととらえて、それほどまちがいはないだろう。

おみやげと鉄道(鈴木勇一郎著より)

 

お土産をお土産たらしめること。それは、引用しましたように、まず何よりもその土地の名物かどうかの一言に尽きます。名物として認知されるためには、歴史に結びつく由緒あるものであるかどうかが鍵です。

 

全国各地のお土産をみてみますと、知名度の高いものはそれなりに由緒があります。

 

たとえばわたしが住む兵庫県には、姫路市の名菓「書写千年杉」があります。

千年杉箱の中

千年杉

 

このお菓子は姫路市書写という地域のお寺にある「千年杉」に見立てて作られたもの。そのお寺とは「円教寺」といい、創建されて1000年以上たつ由緒あるお寺です。

 

その土地の名物とするに十分の理由づけができているのではないでしょうか。

 

こういうものが名物、そしてお土産となる素質をもっているものなのです。

 

自分の住む地域の銘菓といわれているものを調べてみれば、きっと何らかの歴史にひもづけた話があると思いますよ。

 

ただ、どんなに土地の名物としてすばらしくても、それだけではお土産となるには不十分です。

 

お土産をお土産たらしめるには、もう1つ必要なことがあります。

 

これこそが、「おみやげと鉄道」の本論ともいえるもの。それは名物がお土産となるための拡散装置です。

ようやく次回本論の感想

名物が名物を越えてお土産となるために、鉄道がどのように関わったか?

いよいよ次回本論の感想に入ります!

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